~教えられる側の礼儀~
最近まで教えられて
当たり前って思って
いなかった?
教えられる側って学校教育
を通してるから教えて
もらうのが当たり前だと
思っていたり聞く聞かない
の自由があったりしてた
と思う。
自分の望んでないことは
聞かない。
自分の望んでいることは
聞く。
そんなわがままな姿勢の
人も多かったよね。
誰も何も教えてくれない
からって理由でみんな誰か
と衝突していた事も
僕は知っている。
教えられる側の態度が
できていないから何も
教えないだけやったのに。
「教える側」と
「教えられる側」とでは
必ず一線引かれていてその
関係の中で教えるってこと
は大変であり難しいという
実感を誰でも抱く。
それが原因で教える側も
悩んだりしていた。
だから僕はその一線を
取り払った。
教える側と教えられる側と
の間に一線を引いて
しまわないようにした。
一線を引いて固定して
しまった時には教えられる
側は自分から進んで知識や
体験を自分のモノにして
理解しようという
意欲が消える。
「自分の生活や人生にどの
ように関係するのか?」
「その知識を知ったことで
自分のことや自分の周りの
ことがどのように違って
見えてくるか?」
そういった、感受性が
消えてしまう原因だから。
つまり誰かの下で一緒に
行動する時に知識や経験を
自分の問題として考える
チャンスが失われてしまい
受け身的で考えれなく
なってしまう。
それでは誰にも教える事は
できなくなってくる。
ドクター・ロバート
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